2023.10.19
ようやくサイトの改装に目処が経ちましたw
昔はPC用だけ作っていればよかったのですが、スマホ用も用意せねばならないということに気づいてから、はや数年…
サイト10年過ぎたら、大幅にリニューアルしたいと計画しつつも、実行に移すのはどうも億劫で…。スマホ用のデザインとか無理となってつまづいてましたw でも、一度くらいは自分で色々やってみたいという欲もあり…しかしなかなか形にならず…。デザイナーさんはすごいなあとか言いつつ、作ってはこれじゃないと消し、作ってはまた違うと消し…
こんなことを繰り返してると、なんだかどうでもよくなってきて、雑になってしまいます。もういっそかんたん仕様にしようと思って、一々書いてた各まんがの説明文を消し、まんがの整理を始めたら、どうも断捨離したかったみたいで(笑)、結構サクサク進むことができました。
一昨年に家のリフォームがあって、そこで色んな新しい情報を取り入れてしまったこともあり、少し心境の変化もありました。なので、お気に入りのやつだけ置くことにしました。相変わらず絵の差がやばいので、更新履歴から過去の更新順を見て頂ければ、絵の変化はそこまで気にならないかもしれません…
このページも、もう真面目むりってなってきたので(笑)、雑なメモ書きみたいなことで、ざつメモに変更しました。
サイト名ですが、このサイトを始めたころ、まずは武将さんの名前を覚えるぞ!と書き起こしてみて、同じ漢字を使った通名なるものを知って、「隆」とか「元」ばっかりになって混乱したのが面白くて、サイト名をいっそ「隆」にしたいなって冗談言ってたのを、今頃やってみようかとおもいました。
ほんまに「隆」しかいないね!?となったこともありました。西日本側は統一感があるらしいですね。
そんで、それだけじゃ面白くないから、カップリング表記も変更することにしました。
隆元さん逝去の地は「佐々部」にあるんですけど、実は近くに「房後」という地名があるのです。ずーっとあったのです。房の後ろ。逝去の地通るとき超ガン見してしまい危なかった。
いやもうこれしかないじゃない!?っていう完全な思いつきです(笑)心機一転にちょうどよかったw でも描くまんがの中身はあんまり変わらないと思いますw
あとは、毛利家漫画をしばらくお休みさせて頂き、今後はゲストキャラとして登場してもらうことにしました。
なぜかというとうちの祖母の家系がかなり毛利家に近いことを思い出したからです……家紋的に…(笑)いまさらやべえってなってます(笑)
でもここはオアシスだからまだやめたくないんだよなぁ…
歴史ブームが去ったら戻ってこようとおもいますw
2023.10.03
10.1に続いて、10.3は弘中三河守隆兼さまの命日にござい!!!
1日の雑記に弘中さん描いてしまったので、今日は僕たちの兼さんスペシャルプレステージフォトでも見てっておくれ。
お彼岸だったので、陶さんのお墓から、弘中さん冷泉さんの[冷房中トリオ~彼岸花も見れたらいいよね~]ドライブを敢行してきたよ。
まずはこちら!

隆兼さまのお城、亀ケ尾城跡は民家だったので、背中にして見下ろしてる感だしたやつ!です!
最近のGoogleマップ凄すぎてさぁ…史跡めっちゃ出てるやん!?毎日眺めるのが日課になってるの。そんでね、弘中さんのお城があるだと!?とテンションが上がったから行ってみたよ。入口が凄まじく狭くて、え、ここから入るの!?って感じだったので、運転不慣れな方はくれぐれもご無理なさらぬよう……
続きましては心の氏神さま!白崎八幡宮さまでございます!!!!!

もうこちらはね…。ほんとにお世話になりすぎてすっかり氏子さま気分でござる。
色んなお札とかお守り持ってっかんね!(ドヤァ)
大晦日のカウントダウンからお正月の開運福みくじをやりにいかねば新年明けた気がしないんだよね!
そして我らが隆兼さまをお祀りするお社がこちらになります!!!
\\\神\( °Д° )/降\(°Д° )/臨///

いつもいつもご機嫌うるわしゅう…!!!
隆兼さんをとんでもなく変な子にしてしまい、毎回参拝するたんびに平謝りでござる。
弘中の皆さんの白い目を感じるよ
続きましては、弘中さんのお墓がある専徳寺にやって参りました!

隆兼さまのお墓がこちらになります…!!!

本堂から、ありがたい法要の声が聞こえてきましたので、静かに参らせていただきました…!
そしてなんと…!こちらのお墓からわりと近くに…素敵なお名前のお好み焼き屋さんがあったのです…!!!

すすすすすえもと!!!!????
すぐに行って肉たま食べてきた
青のりたくさんで美味しかったですまた行きます(拝)
すえもとから道なりに行くと…冷泉さんちがあるんや…
あゝ幸せの道。

案内板がきれいになってた!

館跡に行く道に彼岸花が咲いていて幻想的でした…!!
館跡にもちゃんと行ったよ!登るときは蜘蛛の巣に注意したほうがいいよべとーってなるんだから…(なった)

残念ながらシャッターで閉じられておりましたが、中に冷泉さんの肖像画とかあって、拝めるようになっているのですよ!また拝みに行くからね!!
冷泉さんちの周辺のロケーションは本当に見事でござります…
みてこの景色…

いつもありがとうございます…
◆❈❈❈◆::◇❈❈❈◇::
さって!弘中さんに関する幼少期の思い出とかはないんですがw、うちで登場してもらうにあたり、知将と言われてた隆兼さんがあんまりにもハイテンションキャラになってしまい、どう考えても戦国武将からほど遠いと思ったんで、お名前の方を少し変えたつもりでおった話。
このころは情報収集のやり方とか全く知らなかったので、wikiをチラ見したり、ネットで検索できた名前は隆「包」でした。別名が「兼」みたいな。「兼」表記なんてなかった。たぶん。
なぜ「兼」にしようかと思ったかというと、「包」は「つつみこむ」で、どっちかといえば義隆さまのイメージなので、陶さんと隆元さんの間を取り持ったり、場をまわす便利屋キャラが一人ほしいなというところから、役割を「兼」「かねる」にしようと思ってつけて、ピエロ的な意味でホクロまで付けてみたんですけど…
まさかのこっちの方が正しいだと…?っていうあの何ともいえない気持ち…
ホクロ描き忘れて上げなおしたりとかしたの要らなかったよねっていう虚しさ…(笑)
(今でも検索等すると「包」になってるところもあるかと思いますが、地元紙とかでも「兼」となっております)
あとは、冷泉さんと弘中さん結びつくわけないよね!?と思ってたんですが、大内弘世さんの息子と娘(兄妹か姉弟?)で繋がってるっぽくて、まったくゼロじゃなかったのでちょっと面白かったですw
そりゃあ、あの頃は、近くにいる人がとても簡単に敵にまわる時代だったと思うので、自分の血筋でつなげておかないと信じられないってなるものね…。すごく簡単に裏切ってくるけどね…そういう時代なんだよね…
……よくわからない締め方になりそうなので、大好きなスイーツを貼って終わっておこう
萩乃さまの生ういろうでございます~

昔常栄寺に行ったときに頂いてから、ものすっっっごい大好きになって、山口に行った際には必ず買って帰っております。住所は江良さんなんだよ。山口は聖地なんだ。
2023.10.01
今年もやって参りました!
陶さんの命日!!
隆元さん生誕500年と一緒にお祝いしちゃいます!
命日も場合によっては第2の誕生日らしいよ…!
弘中さんも一緒に来てもらった!!
ということで!
TKオクトーバーフェストを開催いたしまーす!!

もー飲めや歌えの大騒ぎっすよね!!
広島のオクトーバーフェストに行ってみたことあるけど、ビールが思ったより高かったのですごすご帰ってしまったことは内緒な!
ビアガーデン好きだったなあ…今の若い人たちはお酒あんまり飲まないらしいよね
私の好きなビールはね、もちろん麒麟だよ★
瓶が好きなの(誰も聞いてないのよ)
水曜日のネコも好き。
たこわさと軟骨のから揚げがあればもう最高なのよね(だから誰も聞いてないry)
確実におっさん化していることをごまかすためにうさぎでごまかすスタイルだよ
ドイツの民族衣装が可愛くて着せてみたくなっちゃった★
何をお祝いしたかったのかよくわからなくなってくるよね…!!?
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さて!陶さん関連フォトでございますよ!
毎度おなじみ洞雲寺でございまーーーーす!!!
毎年のお正月にもお参りさせて頂いており、本当にお世話になっております!

本堂にご焼香させていただき、左に行きますと…、我が神の陶さまが神々しくおられまする…!!!

ぎゃーーーーーーー!!!いつもいつもほんっとうにお世話になりすぎて幸せです…!!

陶さんのところに行くとよく猫さまをお見かけいたします。
奥ゆかしい奇跡の猫ショットが撮影できてしまった…!!
宮島はちょっとコロナとかが怖いので行けてないのでまたいつか行くことができたらにしたいと思います…!
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さてここからは、陶さんに関する思ひ出についても語らせて頂きたいと思いまーす!
サイト開設当時は陶さんて誰だい?と思ってたんですけども、よーくよーく思い出してみたら、まあまあ知っておったのです…!
遡ること、中学の一年生の時に、陶晴賢さんという方を知ったのです。
晴賢さん、かわいそうに極悪人みたいに言われていました。
明智光秀はいいけど、この陶だけは許せない、ぐらいに言われてました。ひどくない?
主君を裏切るなんて到底許されることではない、のような感じで…
兄弟間の家督相続争い当たり前、小規模な裏切りなら数えきれないほど…みたいな時代でしたじゃんみたいな…今なら言えるんですが…
まあ、私もこのサイトを作るにあたり、陶さん像をイメージするときに、ちょうど某ヒトラーさんの映画を見たりしたもので、少し重ねたところがあったのでした…。大事な強い国と思ってたのに一回負けてめっちゃショックで、自分がなんとかしないと!と立ち上がったのはいいが行き過ぎてしまい、最後は自分で命を絶つところとか…。ほんとは家を継ぐつもりじゃなかったのに兄がいなくなったから…とか、その辺がね…っていう。まるで活かせてないんだった!
話が逸れましたが、私が中学の時の世界情勢は、今よりもっと平和からほど遠い、混沌としていたもので、私もすっかり信じてしまい、従兄弟に賢(けん)くんといういい子がいたものですから、なんでこの人「けん」じゃなくて「かた」と読むんだ、難しくて覚えられないじゃないか、と訳のわからないことを理由にこの人キライと決めつけておりました。
で、一年生の3学期に引っ越すことになるんですが、授業の進み具合の関係で引っ越してからもまた、「陶晴賢」さんについて習うんですよw
そして私はまたこいつ出てきたとか言うてね。
教科書の明朝体の文字でめちゃくちゃ固く感じられたので余計に印象悪いままでした。隆房のままならそこまで悪くなかったかもしれませんw
そして、その後は色んなアニメや声優にハマったおかげで、陶さんのことなどすっかり忘れて過ごし、あるローカル番組で、裏切り者と言われ印象の悪い人をなんとかするためのプロジェクトを行っています、みたいなニュースを見たことがあります。それが「陶の道」のことでした…!(かなり語弊がある書き方ですみません)
もう完全に中二病真っ只中なので、誰でしたかしらという気持ちでおりましたら、その後親戚から「毛利元就」を大河でやるよ、と教えてもらいました。
のちに、陶の道の方々が誘致運動されていたことを知るのですが、改めて大河を見たら、陶さんはめっちゃいい人に描かれていて、あれ?と思いました。理想の陶さんもういたのか…!とリアルタイムで見てなかったことを後悔するぐらいかっこよかったんだよなあ…!
放映当時はかなり痛いオタクでしたので当時は興味持てなかっただろうなーと今なら思うわけであります。
さらに、友人の一人がV6ファンになったことで一緒にアイドルファンにもなってみたりしており、長野さんの団扇とか振ってたりして忙しかったの。
そのV6ファンの友人ともう一人で、初めて西条の酒祭りに行ったのですが、行きしなに、森田くんが厳島神社に来て、宮島大パニックになったんだよ、という情報を教えてもらいました。当時の森田さんと三宅さんの人気は半端なくて、二人が出てくると、キャーがぎゃー!!に変わるっていうぐらい、カミセンの人気が凄すぎて、広島なんかに来てくれるなんて奇跡なんだ、みたいなレジェンド感がありました。
しかし、私ともう一人の子は、そもそも毛利元就とは?となっていて、V6ファンの友人は一生懸命説明してくれてたのですが、私たちは???となり。
その時はじめて、私は毛利隆元が好きだよ。一番上の長男でね。っていうことを聞き、ほほう、となったのです。V6ファンの子は、同級生でありながら私のオタク師匠なので、この方が言うなら、私も好きになるかもしれないな、と思ったりもしました。
そして忘れて今に至るのであります。
今ジャニーズが大変みたいですが、私の中では、出発地点が同じところにあるので個人的には応援しております。
(やっぱりリアル大内さんだったか…と思っていることは内緒であります(笑))
2023.09.19
郡山城500年おめでとうございます!!!
サイト10周年記念を個人的に開催中なのですが、10年前にこのサイトを立ち上げたのが、9月19日の翌日の9月20日でございまして、なんと善きタイミングで開設できてたのでしょうか!!?と一人お祭り状態でございます。
……今年に入って、知ったんですけどね…(笑)
そんなわけで。
今後の更新とかどうしようかと考えているんですが…
この歴史ブームに乗って、今めっちゃ情報収集できるね!!?とあれこれ見てみたのですが、一度に頭に入れられる情報量がかなり少ないので(笑)、一気にやるとすぐに飽きてしまい、老後の楽しみがなくなってしまいそうで。なんだか結構寂しくなっちゃったのですよね。
この大内家とかについて学ぶのは、生涯かけてのライフワークにしていきたいというのは変わらずあるのです。
だから、細く長くやっていくために、あんまり本気で学びにいかずに、肩肘張らず、更にますます超ゆるーくやっていきたいなあと思っております。
なので、これからも通常運転ということで…
今後ともうちのダメンズ集団をどうぞよろしくお願いいたします。
2023.09.01
今年の大寧寺組は義隆さまの干支にちなんで、
TKラウンジからバニーボーイズの皆様の様子をお届けします♡˙˚ ᕱ⑅ᕱ ˚˙♡

大寧寺組で揃って撮影するときは、カメラ目線をくれるのは黒川さんだけっていうほんとどうでもいい設定があります。
カメラを向けた途端適当なことを話出してしまうフリーダムなひとたち。
ぱいせんと黒川さんは、次に飲むお酒はどれにしようか語り合いながら大人な空間を嗜んでおります。
岡部氏は全てのスイーツを制覇する予定なんだ。
隆良さんはこれからのことを考えてクリームソーダを頂きたかったんだが岡部氏の皿がおかしなことになっていることに気づいた…!!
隆「それ全部食べるん!?」岡「ああ。俺は今日このために来たのだ」
大人な空間がだいなし
◇❈❈❈◇::◆❈❈❈◆::
さーて!ここからは調子に乗って隆元さんの日に引き続き、大寧寺の写真を貼っちゃいたいと思いまーす!٩(ˊᗜˋ*)و♪

車から降り立つとすぐに爽やかな風が吹いてくるんだよ…!!!

本堂ではお線香上げさせてもらったり、写経したり、何もわからないときに法要に突撃してしまい大変なご迷惑をおかけしたこともありました…(思い出したら恥ずかしすぎてしにたくなるんだ)
四季折々を感じたくて、桜と紅葉の季節にも突撃してしまったこともありました…!!

こちらは桜の季節でございます。湯本温泉サイ&コーです!!
そして紅葉と姿見之池…!

なんと雅なことでしょうか…!!
みなさま…よう頑張られましたねえ…と泣くしかないんよ…。・゚・(*ノД`*)・゚・。
そして…!!!!
こちらが主従の皆さまのお墓でございますー!!!!!!!

いつもいつも大変お世話になっておりますー!!!!!

義隆さま…!!!!天気のいい日に行くとまばゆい光が差し込み神々しく麗しきことなり!!!

ぎゃー! ぱいせんー! 黒川さーん! 岡部さーん! 隆良さーん!! sutekiー!
スーパーアイドルを応援する気分になったりしてます(歴史あるお墓だというのに)
R18描いてるときに行ってしまったこともありました。心の中でしぬほど謝ったのはいい思い出
大内家のトニセンと思ってた時期があった(陶さん達との年齢差的にね)(私トニセン派だったんだ)

向かいには、相良さんもいらっしゃいます!
冷泉さん達は背中にお日様が差すから逆光になってしまう上に雨風の影響を直接受けてしまうみたいで、相良さん達の方が綺麗に撮影できちゃう★
以上が、我が神の皆さまのお写真でございました。
◇❈❈❈◇::◆❈❈❈◆::
そしてこの大寧寺につきまして、ちょっとした思い出話がございます。
結構なオカルトで、個人的にかーなり暗いことも書いてますので、読み飛ばしても大丈夫です!
このサイトが10年経ったら書こうかなーと思ってたことを書きたかったのですすみません。
*******
私には、昔からめっちゃくちゃ行きたい憧れの場所がありました。
そこは、小学校の修学旅行で訪れたところで、本来行程に入っておらず、次に行く予定だった場所まで時間があるのでと立ち寄ったため、事前情報がまるでなく、自由に行動していいと言われたところでした。
私はそれまで、すんごい車酔いをしていました。バスなんて乗った日には確実に吐いてたりしていたんです。
しかし、この修学旅行の日は全然バス酔いしなかったんです。
初めてまともに歩けるよ!とテンションが上がったのですが、酷いアトピーで変わり者だったので、いじめられっ子でもあった私はぼっちで静かにウロウロすることにしました
みんなは赤白のノボリ方面に走っていき、私は邪魔にならないところに行こうとフラフラしてたら、たくさんの墓石があるところに入り込んでしまい、
キョロキョロしていると、上に道が続いていることに気づきました。
思えば、5年生の野外活動で山道を登らされた時は、運動音痴のためかなりポンコツでヘトヘトになった苦い思い出がありました。
当時の小学生は上に何かあったら、道なき道でも登ってやるっていう野生児集団でしたから、運動できない=だめな子みたいな雰囲気になりやすかったのです。そんな闇落ち中の私にとって、この細い坂は、私でも登れるんじゃない!?と思ってしまうほど魅力的な坂でございました。
男子が何か見て、ぎゃー切腹ー!?とか叫んでるところを上に向かって走っていくと一面に広がったのは苔むした荘厳な世界

初めて目にする幻想的な空間。これはまさか…!勇者の剣が刺さっていて、選ばれし者だけが引き抜くことが出来る伝説のあの場所ではありますまいか…!!?とテンション爆上がり。慌てて上がってきた先生たちに、「ここめっちゃすごい!すごいですね!!」とアホの子全開できゃっきゃしてたら、先生は怒る気力をなくしたのか笑ってくれて。
当時の子供たちのワンパクっぷりは本当に凄かったからね。なにかやらかすに違いないと思われていたようです。
その後の行程も全然バス酔いしなかったので、そりゃあもう夢心地気分になってしまい、めっちゃ楽しい思い出になりました。
そこで目にした、「瑞」と「寧」の文字が好きになったのです。「瑞」はオタクになって同人活動をしたときにPNにしたこともありました。「逢坂」なんて苗字つけてました。
またいつかそこに行きたいと思いました。
帰ってからも、何度も何度も思い出すあの光景。その中で、切腹をした人のことが書かれていたことを思い出しました。
そうだ、何かあったら切腹すればいいんだと謎の勇気をもらえましてね。
その人になぞらえて、戦ったらなんと勝てて、いじめは嘘みたいにおさまったのでした。
中学に上がってすぐ引越しがあり、オタクになり、そこから遠ざかってしまいました。
そして、それをすっかり忘れてすごしてたんです。
色々あって出会った友人の多くが歴史好きだったことで、少し歴史好きになってみようと思ったりしたある日、歴史師匠の内の一人の相方が、突然、冷泉さんという人が気になると仰られたのです。
なんやかんやで、冷泉さんのところに行ってみようということになりました。
なんとなく、隆元さんを好きになってみて、陶さんをパートナー役に勝手に選び、落書きをアップロードするサイトを立ち上げたりして、話を追っていく中で、出てきた大寧寺の変。
その時はわからなかったが、何度か訪れたある日、急に、思い出した瞬間があったんです。
おまえ……ここ……あの伝説の場所だぞ、って
うそやん!?てなりました【完】
恥ずかしい話をしていることは自覚しているのだ…
義隆さまのお墓も見たはずなんですが、たぶん、ごく普通のお名前のように見えたので…どこかの社長さんのお名前かしらと思ってたと思います
けれど、祠堂で見た戒名の瑞雲珠天の瑞は、帰ってからすぐに漢字辞典で調べるぐらいにはトキメキを感じました。
難しい漢字カッコイイ!ということで、隆良さんの玖とか峯も好きで。
冷泉さんの戒名が鳳仙道麟て小学生にはもーたまらんぐらいかっこよすぎて!この戒名がきっかけで青龍とか白虎とかの四獣を覚えたからね!(麒麟含めたら五獣になるらしい)
こんな素敵なお名前!是非とも覚えておきたかったのですが、その後の萩焼きの絵付け体験で、歪んだタキシードサムを描いてしまい(サンリオ大好きなの)、出来上がったものをもらってあまりの下手さに衝撃を受け、忘れてしまおうと記憶を一部消去したつもりが全部消してしまったんだと思います…
覚えていたらこんなオカルトにはなってなかった(笑)という思い出話でした。
なぜうちのサイトにこの人達が登場するのかというと、私が超個人的に恩義を感じてるからでした。
みんなは私の中では★勇者★なんだ☆ZE☆彡
そんな勇者さま達なのにも関わらず全員ド変態にしてしまいほんまに皆さまごめんなさい…いつか起こる祟りも甘んじて受けたいと存じます……(合掌)
(一度パソコンが派手に壊れたことがあるんだったやばいみんな今までありがとう)
2023.08.20
じゃじゃーーーん!!!

郡山城の登山道を修繕するボランティアに初参戦!してみたー!"(ノ*>∀<)ノ
その名も山守ーーープロジェクト!!ヽ(•̀ω•́ )ゝ✧シャキーン!
せっかく500年だし、何か恩返し出来ないかなーと考えてたところに!奇跡の募集を見つけてしまって!!
募集人数が100名となってたので、変なのが少し混ざってても大丈夫かな?と思って勇気出して申し込んでしまいました!
百万!一心!!٩(>ω<*)و⚑゛YES!
しかし連日の猛暑だというのに、途中倒れて迷惑かけてしまわないだろうか……と申し込んだ後に我に返り、震えながらその日を待ってたら、なんと台風が直撃しそう!?こりゃやっちまったでーと落ち込んでたら、ちょっとずつ逸れてくれて、少し雨が降っただけで済み、おかげで気温が下がってくれたという奇跡が起きました。神様仏様隆元様……!(拝)

集合場所は元は大江中学校だった場所で、その昔、何も知らずに百万一心の碑を見に行ったことがありました。中に入らせてもらうの久しぶりで懐かしかったです…!

郡山城には、清神社の横から登っていきました。
初めて通る道だ~とテンション上がったのですが、そもそも登山道自体、あら?こんな道通りましたかしら??と記憶障害が起こったのだ。
よくよく考えたら10年ぐらい登ってなかったことに気づいて愕然としてしまいました…!
つまりサイト始めてから登ってなかったという…やばい時間の流れってとても速いんだね(汗)しかしめっちゃ登りやすかったんですよー!運動音痴にも登っていいんやでと言ってくださるようでありがとうございます安芸高田市の皆様元就様……!(拝)

元就さんのお墓までは何度か行ったことがありましてね!(今回のルートでは通ってないのですが…)、その先はまた今度行きますからね!を繰り返し、今に至ってしまったようだ

修繕の作業は、土や石を運んで、登山道の崩れてるところにみんなで石を入れたり土をかぶせたりしました。
ポンコツなので運んだりがメインでしたが、まさかの尾崎丸に上がる直前の階段のところに土をかけさせてもらえました……!!

幸せすぎてしぬかと思った……!!!ほんっっっっっまに来てよかったです・゚・(。>д<。)・゚・

解散したあとはもちろん尾崎丸に立ち寄り日ごろの感謝を申し上げ奉り候…!!

本丸にも登れました…!桃源郷に立ったのであります…!!!
夢のような時間を過ごせましたほんとに…!!ありがとうございました…!!!
これからも郡山城のイベントがあったら応募してみようかしら~(*´ω`人)~♬(調子に乗っているようだ)
次は猿掛城にも登ってみたいなー(入口までは行ってみたことがあるのだが……)

2023.08.04
隆元さんの生まれ年の覚え方!

そりゃーもう「行こう兄さん!」以外に考えられないんですよね!
ここはもう弟妹の皆さんに言ってもらうしかないよね!
元気いっぱい夢いっぱい!
初期に考えてた弟と妹のイメージでございます(笑)
仲良し兄弟と思ってたあの日……おかえりなさい
サイト立ち上げ直前に、どうも違うようだってなって今に至ります

産まれてきてくれてありがとう隆元さん!
生誕500年をお祝いさせて頂きます!!
(命日お祝いはスケジュール的にやっぱり旧暦がよさそうなので戻しますすみません!)
なんと五龍ちゃん、新暦だと8月2日になるらしく!!
旧暦と新暦のコラボですやーん!ヾ(●´∇`●)ノ
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生誕500年記念の、名将の子隆元さん展にも勿論行ってきましたよ!
なんと解説までして頂けてほんと来てよかったと思いました…!

ど真ん中に猫ちゃんが寝てて癒された…!

すべては10年前の隆元さんのシンポジウムからエンジンがかかったのだ…!
あの頃は本当に何も知らなかったので、いろんなことが新鮮で楽しかったなあ
コロナとか落ち着いたら、いつでもいいので隆元さんシンポジウムをまたやってほしいです★
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隆元さんは最初に41歳でお星さまになったと聞いて、短命だと思ってたのですが、五龍ちゃんも46歳と意外と短命
義隆さまも45歳、陶さん達や冷泉さんは30代で、隆良さんが41歳で同じ歳でお星様になってるようなので、そんな短命でもなかったようでした。
某元V6の岡田さんが40歳になったリーダーに、「戦国時代ならとっくに死んでる」って言ったというエピソードが個人的にめっちゃ好きでして、平均的な生き方だったんでしょうね
人生100年時代の今となっては40代は若いなあという気はするんですが、100年も何して生きるのと思いがちなので、死と隣り合わせの40代でも懸命に生きた皆様まじ神……拝
毛利家漫画は相変わらず大内家漫画が楽しすぎてかけてないですが、出羽元倶くん(命日が8月10日だったまた増えた)や、妹の上原ちゃんとかコンプリートしたい気も少しありつつ……
元倶くんを調べようと「毛利元倶」と検索すると元政さんの息子さんが出てきて混乱するー
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そういや、隆元さんの命日お祝い!とか言って少しも写真あげてなかったので、ちゃんと行ってることを証明するために写真あげまする
なんで今まであげてなかったかというと、写真撮るのがど下手くそだったからに他ならない
まずは隆元さんのお墓!
駐車場から郡山城と元就さんのお墓に向かって拝み、陶さんが攻めこんだ山も拝んでいくよ

隆元さまの墓地にいざゆかん!!!!!

…といいつつ、行き慣れすぎてちょっと降りてから登らないといけないこちらからではなく、駐車場横の細い階段から行って、ここから出て帰るみたいなことをしてたりしております。
じゃーん! 隆元さんのお墓こちらになりまーす!!!

なんと立派なことよ…!! なんか木が生えとるで。と気になって、樹木葬を知ったことが懐かしい。
いつもお写真撮らせてもらってるんですが、いつもこのアングルなので、アルバム作ると同じ写真が大量にできてしまう悲劇。
夏に隆元さんのところや元就さんのお墓に行くときには、虫よけスプレーとかしていかないと大量の虫が襲来してくるから気をつけんといけんよ。
そして、ちょっと車を走らせて隆元さん逝去の地に行きます
ここからの道がほんっっっっっっっっっっっっっっっと好き。(運転してるため写真とってこなかったことに今ごろ気づく)
はい。何度も撮らせてもらってるので改めて撮ろうとすると雑になってしまうこちらが逝去の地となります。


だってもう暑かったんだよう……万年運動不足にはこたえるぜ
オーディオの電源切ろうとしてエンジン切ってしまうぐらいには意識がもうろうとしてたよね(危険)
そしてなんと、隆元さん逝去の地から少し行ったところに常栄寺があったので行ってきました!
こちら住所が島根のため、広島、山口、島根に常栄寺があるということになりますね…! やったぜ!!

太陽が出てたら光をわざといれて神々しく撮るのが好きです

毛利の家紋がでっかくありました…! これはゆかりのお寺に間違いありませんね!!
白状しますが、この辺りの景色がほんっっとうに好きで、ここをもっと感じたいと思ってたらそこに隆元さんがいたので……
それで……好きになろうかなって……
思ったのがほんとのほんとのほんまのきっかけでした……
石州瓦と田んぼに青空と川と山のコントラストが癒されるんやでほんま……
隆元さんが戦国武将とかどうでもよかったんだよ…
私商業系の学校出身だからさ…日本史とか世界史とかなかったんよ…
中学の先生も戦国時代嫌いだから適当に流すって言ってあんま教えてくれんかったから興味持ったんや…
なんなの今の超真面目なこのご時世。
暑いから真面目疲れをおこしております。
ふたりの愛ランドのメロディに乗せて、「ちこちこなつなつちこなっつ」って替え歌が流行ればいいよね。
2023.06.26
●更新メモ:
猫耳変化の怪・04
続き物ラストの更新をしました。
お花見の季節の話なのに梅雨まっさかりでございますね!
描き始めるのは春なのですが、描くのが遅いため、出来上がるころには季節が過ぎるということを忘れ、いつもあちゃーとか言いながら上げておりますw
2か月空いたのはページ数が2倍あったからです(てへ)
前回は8pで、今回は17pあったんだ…。切りどころがわからなくてねえ。
なので、一気に描いたのですが、まだまだ慣れてないprocreateなのに17pも描いたら頭がパンクしましたwいい練習になったということにします(ぱた)
この話は、陶さんちのお城、若山城のある場所が周にゃん市になった記念ということで描き始めました。(2017年時点の話で数年前に終わってしまったようです…。テレビで見たもの)
なので、陶さんが主役の話を描きたい!となって、せっかくならうちにいる人みんな出したい!ってなって、謎解き風を装ってみたい!ってあれこれ詰め込んだら相変わらずよくわからない話になりました。
正直ぱいせんが猫耳で出てきた出オチを描いたところで満足してしまってたのである(早すぎ)
最後の陶隆のシーンを描きたくて描いたんだけども、そこに至るまでがね…。なっが。なにこれ。ってなりました(お前が考えたんだろう言うてね)
こんなネタに6年もかかるとかほんまに……
勢いに任せてやるとこうなるという実例でございました。
一応ストーリーがあるので、張りぼてでいいから背景入れてみるか。と考えて、どうせならと当時の建築等々調べたら、まー楽しいこと! あんなことやこんなことなど色んな情報出てきてねえ。いい時代になりましたね! 使い方とかは適当です。調べものしていて、あれもうこんな時間…今日は作業をやめとくか。と脱線しながらも、なんとか形になったということでして。
えーと、とにかく、くるくる空回る陶さんを愛でたかったんだ。おしまい。
2023.04.25
●更新メモ: 猫耳変化の怪・03
続き物の更新をしました。
もう終わらせたと思ってたらデータが見当たらなかったので慌てて描いていますw
あと2話も残ってましたw
2話目描いたのが2018年というまさかの5年も前なので、描き方が結構違ってて、コマ割りもなるべく紙を節約しようと詰め込んだりしてた時期のものなので、読みにくかったらすみません…
当時はA5の紙にちまちま描いていました。シャーペンで薄く下書きして濃くなぞる、みたいなことをやっていたため、手が真っ黒になったりとかしてました。
ようやくなんとなく描き方がわかってきて、背景もちゃんと描いてみたいな~とか欲が出てきた時期で、思うままに描いてたら夏に汗で紙が滲みかけたりして大変なことになったりしてました。
この2話目描いたあとに、ちょっと悩んで、紙をB5にすることにしました(デジタルにする勇気はまだなかった)
けど、B5でも結局手が真っ黒になるのは変わらなかったので(古い家に住んでたためカビも生えてしまった←アレルギーもち)結局デジタルにするしかないかーみたいなことで、現在のiPadでの作業に至っております。
全然手は汚れなくなって好きなときに更新できるぜ!とテンション上がっておりましたが、今度は眼精疲労と首こり肩こりに悩まされはじめましたw(ダイレクトに光がくるのでアナログより痛みが出やすいらしい)…一長一短ですね。
2023.03.30
●更新メモ: 寒い夜だから
昨年末の冬は寒かったですね……!
積雪に二回も見舞われるとは……
義隆さまたちも、隆房くんのところに行くの大変だっただろうなあ…っていう、今年、年男な義隆さまが、うさぎ房きゅんを愛でるお話です。
義隆さまはたとえ火の中雪の中。春夏秋冬、そこに隆房くんがいる限り行っていました。家臣の皆さんが止めても撒いてでも行ったにちがいない。
義隆さまの髪型が違うのは、一応お忍びで行っているみたいなかんじを醸し出したかったんです。ロン毛は髪型で遊びたくなってしまい、誰これってよくなります。
ネタを思いついたのは昨年の初めだったのですが、来年義隆さまが年男になるなら、うさぎ年が来てから更新しようと思って今年あげました。
しかし年明けはバタバタしてしまい(コロナになったりとか、身内の体調不良とか…)、せっかく覚えたiPadのお絵描きの仕方を完全に頭から飛ばしてしまいました。今まではクリスタを使っていてめっちゃ描きやすかったのですが、ちょっと調子に乗ってますますどこか飛んでいきそうな気もしてきたので、一から新しく違うアプリ(Procreate)とか使って心の浄化を試みようと思いました。トップページの絵も全てProcreateで描いてみました。レトロなアナログ感がやっぱり好きだなあ。
☆☆☆☆☆
ところで、話変わってお花見シーズン到来!ということで、ヤケになった私はいろんなところに桜を見に行ってしまいました。
そのうちの一つ、若山城の写真をぺたっと貼らせてください。

なにせ、昨年生誕500年記念だったけど行けなかったから…
どんなふうにお祝いしたか知りたかったんです…
そしたらね、さすが陶の道……!たくさんのノボリが立っておりましたよ…!!

生誕500年おめでとうございました!!!!


ほんまに陶さんは我らの誇りですよね!!!!!

なんと義隆さまのお名前まであるだと……!!???
やっぱりこちらの地元の皆さんの気持ちはほんとに熱い…!!
これだけ桜を見ることができるのは、皆さんが植樹されたからとのことで、もうほんとに愛と平和に満ちていました…感動と勇気をありがとうございました(泣)
そんなかんじで、桜を眺めながら、車の中で山焼きだんごを食しました。

小学生のころ初めて自分で買ったお土産でもあります。
これ食べたら元気になるんよ。
2023.03.12
今年は隆元さん生誕500年ですね!!
とうとうこの年がやってまいりましたね!!!
さらに、今年の干支(うさぎ)は義隆さまと同じのようなんです…!!!
今年は超ハッピーな一年になること間違いありませんね!!
このサイトを始めたころは、歴史にまったく興味がなかったため、隆元さんの生まれた年とか、そもそも隆元さんとはどなたですか?という感じで、諸々全く存じ上げておりませんでした。
なんか、人生に疲れてた時期でもあったので、最後に自分の生まれた場所のことぐらい勉強してからいくか。ぐらいに思って、よく見たら産まれた病院のすぐ側に郡山城があったので、そこから始めてみよう。しかし歴史上の人物の名前が似通ってて混乱してきたので、もう適当なキャラを作って覚えてしまおう、と超気楽にはじめたのがこのサイトでした。
今は歴史ブームが来ているみたいで、調べたらなんでも出てきてくれてありがたいのですが、当時はイケメンやら美少女や猫やらで大変自由な世界観が広がっていました。
なので、そちらにこそっと便乗させてもらいつつ、ほんの数ミリ史実を絡めてみたり、あとはほんとテキトーにやってたのがよかったのか、気づけば10年も経ってしまっておりました…!
途中、さすがにわからずやるより、わかった上でやる方が面白いかもとか思ってしまって、講座とか参加するようになって、なんと結構すらすら覚えることができ、今や戦国時代以外の歴史もちょっとはわかるようになってしまったのである…!(なぜこの人たちがここに来たのだろうと追っていくと、どうしても前の時代を知らないといけなくなってきたりするため)
好きなことを追求していけば、世界が広がるんだなあと日々幸せな気持ちで過ごさせてもらっております。
うちのサイトは自キャラたちに、「隆元さん」とか「陶さん」とかって名前を与えてるだけの代物なんですが、なんかね、とても心があったかくなるんですよ。マインドフルネス妄想とはまさにこのこと(?)
史実はその道何十年の専門の先生方がおられることも知れたので、ここは今までどおり、何かよくわかんないけど楽しそうなことしてんな、とか思ってもらえる話をあげていこうと思っております☆
一応歴史ガチ勢の方がうっかりいらっしゃったときのために書いてみましたw
そんな感じで、引き続き妄想9割、勉強1割ぐらいでゆるく楽しんでいこうと思います。