2018.11.15
今日は義隆さまのお誕生日です。
で、元春さんの命日です。(旧暦の日付的に)
しかしながら今年は更新がありません。。
ぐだぐだしているうちに今日を迎えてしまいました。
せめて雑記でもと思って書きにきました。
ハロウィンのトップ絵のままだったことも今思い出したので元に戻しておきますよ。
2018.11.01
一日遅れのハロウィンです。
落書きしたんですが間に合わなかったので色塗りしてトップ絵にしてしまいました。
赤ずきん隆元さんと吸血鬼隆房さん。

2018.10.09
いかがわしいトップ絵から10/1にあげてた普通のに戻しました。
うっかり変えるの忘れてて、ただでさえ変態色の強い当サイトがただの変態になるところでした(あまり変わってないだと…)
2018.10.03
今日は弘中さんの日です。
ということでまた変えました。
モチベあげるために裸族すみません。

今週いっぱいはこのセクハラ絵の予定です。
来週から普通のに戻ります。
弘中さんの奥様のお名前は「こん」さんと言われるそうですね。
娘さんは「うめ」。めっちゃ可愛いです。
こんちゃんとうめちゃん。かわいい(二回目)
弘中さんが「うちのこんちゃんがねー」って先輩に自慢する漫画とか描きたいです。
2018.10.01
今日は厳島合戦のあった日です。
つまり陶さんの日。
ということでトップ絵変えました。

第一次月山富田城の戦いをうっすらイメージしました。
この戦がきっかけで大内家に大きな亀裂が入っちゃったんだろうなーっていう。
今年はトップ絵だけ変更して終わるかもしれません…
次は明後日にも一応変えようと思ってます。
2018.09.01
今日は例の大寧寺の日です。
この日のために、色々妄想して真面目な話を…!!と思ってたのですが、酷暑でバテバテゆえ、何も手につかない日々が続きました…
そんで昨日ようやく、何か描かなきゃだけど着物とか悩んでる暇ない…!!
ええい裸でいてまえー!と勢いに任せ何とか描きました。

というわけで、トップ絵は大内さん以外裸族です。
暑いからさ、ずーっとうちの義隆様が、
「今日も暑いね。脱ごうか」って言い続けてる。
義隆様は、今日はどの子にしよーかなーって選ぶのだよ。
皆は一斉に散るよね。
はい。今年も、大寧寺組が変になりました。
2018.08.22
そういえば公開講座の話書いてなかったので書きます。
★★★
昔から勉強が苦手だった(特に歴史)私ですが、5月下旬と6月にかけて毎週水曜日の夜に公開講座を受けてきちゃいました。
厳島と軍記物語「イメージの厳島」を楽しむという講座でした。
講師の先生は、江戸時代の軍記文学が専門ということで、文字どおり軍記物からどうやって厳島に伝わるイメージが作られていったのかということがテーマでした。
私のイメージは厳島といえば赤い鳥居のあの神社ともみじ饅頭&鹿やしゃもじぐらいです。
いろんな軍記物があるよということで、太閤記と信長記も見せてもらったりしました。
明智光秀さんが蘭丸くんに鉄扇でぺしぺしされてる絵とか載っててかわいそうにと思いました。再来年の大河ドラマでこういうのもやるのかしら。
厳島の海上神殿を作ったのは平清盛さんが定説ですが、歴史学の人達の見解では、清盛ではないと言われているそうです。なぜならそんなことを書いている一次史料がどこにもないからとのこと。
※歴史学と文学の違い
■歴史学は事実を確定する学問
一次史料(日記、書状など)を扱う
■文学は虚構を考察する学問
二次史料(軍記、実録など時間が経過して作られたもの)を扱う
厳島の海上に浮かぶ大鳥居は昔はもう少し簡素な造りだったようです。
1547年(天文16年)に義隆さまが建て替えを行い今の形になったのではと言われているそうです。やったね!
現在は8代目大鳥居とのこと。なんだか硬貨を嵌め込みすぎて腐食が激しくなってるとのニュースを最近見ました。1168年からそこにあるものなので大事にしなきゃですよ。
で、問題の厳島合戦のこと。
結論から言うと、輝元さんが関ヶ原で負けちゃったので毛利家の威厳を保つために、元就さんを神として崇め奉る目的で広大なスペクタクルロマン伝承記として書かせたもようです。
また、広家さんもなんだかんだ吉川家がないがしろにされていて危ないので軍記物として書かせました。ていうか吉川家の人が先に書いて、輝元さんとこがそっちのいいとこしか書いてない!うちも出す!と書かせたみたい。
最初は覚書で事実にちょっとスパイス程度の脚色が入っていましたが、あの伝説の陰徳太平記が刊行されるときにはもうかなりの誇大妄想が入っていた。
陰徳太平記は歴史家の中では問題作扱いのようです。
私もそう思います。こんなサイトを運営しているけどもね…
元就さんは陶さん謀反のときに加担したわけですが、通説では本当はいやなんだけど仕方なくやりましたになっていますが、最初の方では領地をやるから仲間になれ言われて、OKですと普通に味方したとのこと。
元就さんが大友さんにあてた手紙とかあって積極的に関与してたらしい。
陰徳太平記のみ、私たちは義隆さまの弔い合戦により厳島で戦いますと書いているらしい。
・陶方、2万余りVS元就、3400
少ない兵で勝ちました我々!!
→実際は、陶方、3、4千ほどVS味方、三千ほどでそんな大差なし
・偽の城をつかって陶さんをおびき寄せた元就さん
→実際は陶さん方の宮島近隣の神領衆の皆さんがうちの神社取り戻したいですと言ったため、その作戦を遂行するために宮島入りしたらしい
陸路にも兵を置いて戦力を分散したのが敗因ではないかと言われている
が、陶さん達は厳島入りしてからはヨユーぶっこいていたことは否定されず。
それは事実っぽいそうです。陶さん…
・弘中さんが宮尾城を見て、あれは囮の城だから行かないほうがいい
・江良さんは元就さんと内通したことにより切腹させられた
・桂元澄さんの私、陶さんの味方になりますという偽文書
・宮尾城作ったけどここ落とされたらやられちゃうよねーと弱気の発言を
陶方にわざと聞かせたこと
→急に差し込まれた解釈
弘中さんのだけ後から付け足された割になんかカッコいいエピソード。
江良さんは切腹したのは事実だけど、何が原因かはわからない。
このため、輝元さん達は妄想しました。
元就さんの謀略はなんてすごいんだということを語るのはここを掘り下げていくしかない!と。
元澄さんと宮尾城のことは陰徳太平記発だそうですよ。
弘中さんが厳島神社付近の村に火を放ちながら退却し、対峙した元春さんが「神殿を焼かすな!!」と言ったかっこいいワンシーンも陰徳太平記から。
毛利秀元記という軍記物では、隆景様の武功話になっているそうです。
海士船の船底に隠れて渡海した景さま、みんなに「耐えろ、後詰があるから!」と言ったそうです。後詰とは救援があるから的なことらしい。
さすがほいたんの息子の伝記である。
陶さんが切腹したあと、首を隠した人がいるのですがその人の名前も様々。
最初「乙法」、次「猿若」…陰徳太平記「乙若」なぜ合体してしまったのか。
というようなことを聴きました。
先生のお話が面白くて、もう終わってしまうのかーと嘆くぐらいにあっという間でした。また講座行きたいよー
2018.08.04
お久しぶりでございます。
いやーめっちゃ夏バテになってしまいました。
酷暑はいけませんね。更新作業もままならず、こんな時期になってしまいました。
けれども今日は隆元さんの日ですから、頑張って更新します!落書きを!(バーン)
夏祭りに行った陶さんと隆元さん、陶さんは隆元さんの肩に手を回したいが、いくタイミングを見計らっているといういつものやつです。
なかなか表立ってイチャイチャできない二人。夏ですね。
涼しくなったらもっと更新できるはず!多分ね!

2018.06.29
●更新メモ: 猫耳変化の怪・2
久しぶりの更新です。
一年前ぐらいに上げてた、隆元さん他数名に猫耳が生えた話の続きを今頃更新したいと思います。
話かわって、久しぶりに公開講座に参加してきました。
全6回にわたって、厳島について勉強させてもらいました。
後半は厳島の戦いが主でした。この話はまた今度ここに書きたいと思います。
それと、吉川資料館で吉川元春一家の文書とか見てきました。
ロビーにある吉川一族の系譜に、今回この人たちの展示していますとわかりやすく名前の横に印をされていたのですが、
なぜか元氏さんのところに印がありませんでした。
元氏さんの文書はありました。
お父さんは広家さんに、元氏は言うこときくようになったから言うてましたし、元氏さん自筆で、お兄さんの元長さんの菩提寺を作ってという感動的なお手紙が展示されていました。ただ、名前が重澤元棟名義だった。
(元氏)とはなっていましたが…
ていうか岩国の方が元氏さんを忘れるわけないもの。
たまたまだよたまたま。と思った私はやはり元氏さんリスペクトをしてしまう。
元氏さんのお墓も見てきましたよ。楽しかった。
2018.05.22
先日信長201xの人気投票があり、冷泉さんがまさかの2位でした。
陶さんは10位に入れなかったですが、隆元さん達と比べたら全然良いので満足です。
その記念にというほどでもないですが冷泉さんの落書きしたので載っけます。
またオプションで弘中さんがくっついているのは、ちょっといかがわしくしないとやる気が出ないためです。
2018.05.16
暑くてジメジメした季節になってきました。
春ももうすぐ終わりですが、トップ絵を今頃変えました。
更新サボり気味なので、玄関だけでも模様替えしとくかというやつです。

めずらしく三兄弟が揃っている絵にしました。
サイト立ち上げからずいぶん経つのに三兄弟揃っている絵描くのほぼ初めてかも…。
若干5月病入ってましてやる気が風前の灯火状態ですが折角の三兄弟だし、豪華にいきたいよねと考えたんです。
豪華=陣羽織な安直な発想です。
陣羽織+甲冑はめんどくさいので、陣羽織+籠手にすることにしましたが、陣羽織+籠手+直垂+小袖みたいな重ね着&重ね着でめんどくささはあまり変わりませんでした。頭パーンなりかけたのは言うまでもない。
今、光TVを期間限定で視聴してるのですが、ヒストリーチャンネルとFOX(NCIS目当て)チャンネル、時代劇チャンネルぐらいしか見ていませんよ。
時代劇チャンネルは、暴れん坊将軍と遠山の金さんを見ました。
昔の吉宗様めちゃくちゃイケメンで倒れそうでした。
金さんは小さいころ毎週見てたから主題歌歌ったりした。
昭和の俳優さん達は今見てもかっこいいと思います。
2018.04.12
●更新メモ : あの人の気持ち・2
バレンタインぽい漫画の続きを上げました。
ラブラブイチャイチャで終わるのはなんか恥ずかしかったので変なおまけをつけてしまいました。これも一つの愛の形です(?)
ホワイトデーも桜も光速で通り過ぎていきました。
今年は裏の庭に咲いてる椿が長く花をつけてて、桜と同時に散っていきましたよ。なんだか嬉しい心持ち。
★★★
岩国に遊びに行くといえば、昔は錦帯橋や山賊(食べ処)でしたが最近は弘中さんや冷泉さん関連の地になりました。
ストーカーで逮捕されてもしょうがないと思います。
この間、弘中さん墓所のある専徳寺から、冷泉さんの屋敷跡がある祖生まではほぼ一本道(115線)で行ける事実を知りました。ありがとう神様

江良さんも岩国城があった場所にお城があったということで、縁の人になっています。岩国城に行けば、吉川の広家さんと江良さん二人に想いを馳せることができると。こういうわけですね。
山口の美味しいういろうのお店があるところも江良だよ。
弘中さん関連の史跡が岩国には結構あって、他には、氏子になる勢いで通いつめている白崎八幡宮に、加陽和泉守のやしき跡と書いてあるところがあります。
加陽和泉守のやしき跡は2年前に写真撮りに行ったんですが、看板が二つならんでいました。中津居館跡が正式名称のようです。

陶さんも元春さんも泊まった素敵なお屋敷ですが、加陽和泉守さんも一時的に住んでいただけみたい。じゃあそもそも誰の屋敷なんだよってなったら弘中さんじゃね?となったようです。
いつも説明が雑ですみません。
2018.04.03

啓蟄を過ぎ、春の装いも深まってまいりましたね。
桜の季節が到来ですね。春の陶まつりの季節ですよ。
えー、漫画の更新はやはりもう少しかかりそうなので、ここぐらいはぽつぽつ書いていこうかなと思います。
2018.02.22
●更新メモ : あの人の気持ち
久しぶりに更新いたします。
本当はバレンタインまでに上げようとしていましたが、ダラダラする内にもう2月も終わろうとしていますよ。
いつものように大した話ではないのに無駄に長いため、あと1.2回ぐらい分けて上げると思います。
ホワイトデーまでに次を上げれたらいいのですが、ちょっと怪しい…すみません。
江良さんの髪型をメタモルフォーゼしました。前髪を作ったっていう設定でいきます。
江良さんにはお兄さんがいますが、房の字ではなく賢の字をもらっているようなので義隆様の家臣だったけど、例のアレで晴賢さん方になったとかでしょうか。
大きなお家を持っているっぽいので、なかなかの重臣だったのではと推察いたします。
そんな研究っぽいことしてても、全然漫画には反映されないのですけどね。
